リネン

 

「マルシンスパ」の浴槽からは、渋谷区から世田谷区にわたる東京城西地区が一望できる。右側に世田谷ビジネススクエア、左端にキャロットタワー。「僕が住んでいた街」だ。

 

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外の様子が伺えないほどの驟雨が降っていた。

水分量が多く、灰色の空とアスファルトが、雨の線でひと繋ぎに溶け合ってしまいそうだ。

気温が下がるほどの雨は、夏めくほど珍しくなる。アイスにしようと思っていたコーヒーをホットで飲むことにして、冷凍庫から出しかけた氷を閉まった。

 

巷では芍薬を飾るのが流行っているらしい。おしとやかで嫌味がない芍薬は、きちんと畳んで積み上げられたリネンのような清潔感がある。それでいて、アップルやアドビの製品のサンプル画像でよく見る、シャープな輪郭の色気がある。俺は芍薬に興味があるが、間違いなく芍薬は俺に興味がない。それだけは確実だから、安心して花屋に並ぶ芍薬を鹿十することができる。

 

焼き餅を焼いたのか知らん百日紅ドライフラワーが、南に面する出窓で粉々になっていた。机の上で花火が炸裂したかのように、黄ばんだ花弁の破片が散らばる。買ったのは去年のクリスマスごろくらいだったか、長く飾りすぎだ。

 

そもそも、虫が良すぎたのだ。水を遣らなくても、細々とサマになる百日紅が窓際にあれば、それで十分だと思っていた。俺は十分かもしれないが、百日紅にはたいへん失礼なことをした。ドライフラワーだって、水が欲しかったわけではない。少しでも、芍薬と同じように扱ってくれれば、過分に何かを望まなかったはずだ。百日紅の骸は、故郷の夏を迎えることなく、出窓の花瓶から姿を消した。

 

 

飲みかけのコーヒーがぬるくなるころには、雨粒は消えていた。入れ替わるように、出窓から強烈な夕暮れが注がれ、部屋を惜別で満たす。30cm四方の借景に顔を突き出すと、線香と煮物の香りが運ばれてきた。

仕事があろうがなかろうが、右打者のインコースに食い込む時速130㎞台のカットボールが投げられられようがなかろうが、油断すれば流しは臭ってくるし、トイレは黒ずむ。現を抜かしている場合ではないと、羽織っているジャケットを脱ぎ、椅子の背もたれにかけた。

 

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サライ」とはペルシア語で「宿」という意味らしいが、ダヴィンチに使えたサライという男は、とんでもないコソ泥で家人も手を焼いたという。サライサライ、人サライ、なんて。

ドラゴンスレイヤー

 

おととい干した洗濯物はびしょびしょになっていた。昨日干したぶんは、大丈夫だった。

Apple Musicのプレイリスト「BEATsturuments」を再生している。

 

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20代の半分を二日酔いに溶かしていいのか。

3日酒を抜いた。在宅勤務でも仕事に打ち込めている。脳の芯から火照る、久々の感じだ。

ベランダに出ると、予備校からの帰り道を思い出す、柔らかな冷気が身体を包む。努力した直後だけ認められる、チャンピオン・ベールだ。

 

先日、買い物に行く必要に迫られ、近所の商店街を歩いていると、あるレストランの扉に1枚の張り紙があった。

新型コロナウイルスのため、しばらく休業します」。

このご時世、対して珍しい光景ではない。だけど、僕はとても驚いた。この店、そもそも営業していたのか……。

禿頭の店主がスポーツ新聞を読みながら暇そうにタバコをくゆらすのが外から透けて見える、どの街にも一軒はある、店主にはごめんなさいだけど「終わっている」店だ。誰だって、できないことや、できること(できることや、できないことではない)を考える、プールの腰洗い場のような時間と空間だ。

 

もう1日経って今日(昨日)4月23日はサン・ジョルディの日キリスト教の祝祭日のひとつだが、スペイン・カタルーニャでは素敵な本を送り合う日だとも知られている。いや、知られていない。そんなことを知っているのは本を読む人間くらいで、「しじみ」と名付けられたネコの写真が画面に映し出されるのを見て、「ああ、しじみの日か」とムダに満足した人のほうが今日は多いはずだ。

 

送りたい本はない。平松剛『磯崎新の「都庁」』『光の教会 安藤忠雄の現場』の2作を週末に読み切りたい。不勉強だったけれど、信じられないくらいすばらしい書き手だ。目が滑るより早く、文字が進むから読むのに困らない。

 

サン・ジョルディの日は聖バレンタインが撲殺されたのがきっかけでチョコを送り合ったように、サン・ジョルディ司祭が殺害された日である。この男は伝説的な龍殺し(ドラゴンスレイヤー)だったという。嘘ではない、本当にそう書いてある。カタルーニャドラゴンスレイヤー。彼を偲んで本を送り合う。うふふ。

 

平松剛さんの素晴らしさについてもう少し書きたいと思ったけど、ドラゴンスレイヤーに気持ちが持っていかれてしまった。「本がいらない人生は、幸せだと言うことだ」。こんなニュアンスのことを言っていたのは太宰治だったと思う。昔、「日本一敷居が低い文壇バー」で、店主と喧嘩になったのを思い出す。文壇バーで「敷居が低い」と誤用しているのはワザとなんだろう。安心して敷居をまたぎ、酒をくらい、「本なんか読まない方が幸せになる」のようなことを話していると、そういうお客さんは要らない、と言われてしまった。

 

バツが悪くなって店を出たが、今思い返すと、そこに礼儀があったかというとなかった。反省している。たとえば今、平松剛氏の前で、同じ言葉が吐けただろうか。できないだろう。つまり、僕は人をナメていたわけだ。ただ、言ったことは間違っていないとも思う。今、これだけの状況になって、本にできることは、やっぱりそれほど多くない。せいぜい、いつも自分に立ちはだかって、読まなければ読まないほど向上心が湧いてくる、なんというか国債のようなものだろうか。

 

幸いなことに、巣篭もり需要で出版業界はいまひとたび延命措置を施された。

11時15分ごろの4月の太陽を浴びられるのは、すごく贅沢だ。

今日も校了を乗り越えられてよかった。

酒は、一応今日も飲まないでみる。

 

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徳島の「昭和湯」に行ってみたい。

徳島はまだ1泊しかしたことがない。それもネットカフェだった。

 

水村美苗日本語が亡びるとき』をバナナの皮のように横たえ、

荻野目洋子を耳に挿れながら

 

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自炊が増えすぎて、自分の作る料理に飽きてしまった、という友人の声をよく耳にする。

心の底から同感する。また、これはある人の一言ともリンクする。

とある飲食店で食事をしていた時、こちらの要望に合わせて簡単なパスタを作ってもらったことがあった。卵とチーズと油くらい、シンプルだが、とても美味しかった。

凝ったものよりも、その場にある食材で作るーー音楽でも文章でも、とにかくあらゆる「作ること」において醍醐味とも言える所業で、必要以上に感動した。まるで子供の頃、遊園地で見たバルーンアートのお兄さんのようだった。

これだけ色々作れたら人生も楽しいだろうと少しうらやましかったが、シェフは「自分で作った料理はあんまり食べない」と言う。

その時は合点がいかなかったが、今ならわかる。逆にいえば、うまいともまずいとも言われないのに、数十年にわたって家族にご飯を作り続けてきた母(父)の思いも、少しわかった。

作ったものは、いくら気に入っていても、自分で消化するものではない。リビングに自分の画を掛けるバスキアや、「クリープ」を自宅で聴きいるトム・ヨークがいないように。

やっぱり、作品は遍くして他者を想定して作られているものだし(それを逸脱する目的で作られているものを除き)、想定を回収できる、またはそれを超えなければ完成しないところもある。

おまけに、自分に都合のいいものは、何度も見ていると飽きてくる。例えば、ちょっとしたソテーに、とろけるチーズやキムチや、多めの粒コショウや、贅沢にバターなど、いくらでも自宅だと調整できる。それがよくない。紅生姜は吉野家でしか食べられないと制限されているからあれだけ牛丼に積載するわけで、ひとりチーズの上にバターを載せてもそれはムダでしかない。自分の好みは、手軽に手に入らないからいい。

誰かと食べられない食事、自分オリエンテッドな調理、これが自炊をマンネリ化する原因であり(もちろん毎日作るのはしんどいが)、あらゆる(創作)活動においてこれは共通することだ。

 

大好きなインターネットを観るのもうんざりしているので、あまり好きではない本を手に取っている。本は大体タイトルと中身が解離している。だから、読めば裏切られる。stay home自体は温かいが、そのなかで喜びを見出すにはいかんせんマゾ要素を求められる。

 

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引き続き、バナナと荻野目。

 

 

ファーザー・ジョン・ミスティーのインタビューが良かった話

IoTスピーカー「Google Home」を買ってから、家でラジオを聴く時間が増えた。キーボードを打ったりフリックしたり、これまで当たり前だった動きにはかなりの身体的負担があったことを感じた。無印良品のアロマディフューザーのようなシンプルなデザインは、トップページにロゴと検索窓だけを置いて差別化を図った十数年前のポータルサイト群雄割拠時代を思い出す。

 

そのミニマリズムは、生後すぐに親からも見捨てられたグーグルの自動運転カー・ウェイモ(waymo)を彷彿とさせる。観覧車の上部を切り落としただけのようなマヌケなデザインだったが、これがクールなのかどうかは時代が勝手にジャッジしてくれるはずだ。

 

一方まったくクールじゃない話をすると、文芸春秋社が図書館に対して、文庫本を貸し出さないで」と異例の声明を発表したことが話題になった。同社の松井清人社長は、貸出の増加が市場縮小の一因になっているとの理由を挙げた。

知っている人は知っていることだから「中の人」面して言うことはないけれど、世間で思われている以上に出版業界は厳しい。一冊発行するごとに数百万円の赤字を出している月刊誌なんてザラにあるし、超大手でも初版3000部スタートなんてものも当たり前の時代になってきている。同人誌がコミケの3日間で1000部売れる時代に。

 

この声明は、文芸春秋社や新潮社といった名作を生み出し続ける業界のリーディングカンパニーですらも、ビジネスを再構築しなければいけない岐路に立たされていることの裏返しだ。ほぼすべての出版社は株式上場していない。ビジネスの最前線に立つコンサルタントが出版業界の財務状況を見たら、笑ってしまうかもしれない。株価が25%下落してお陀仏なら、たぶんもうこの国に出版社は残っていないだろう。

 

文庫本の貸出制限要請について、多くの人は反対意見を持つはずだ。「図書館で本を借りたことがきっかけで、人は本を買うようになる」という人情派から、「デジタルで無料でなんでもできる時代に逆行するのか」というポスト消費時代を生きる人のコメントまで、ネットには至極正論が濫立した。

 

僕も大多数の意見におおむね賛成だが、もっと踏み込んでこの問題を考えるべきだと思った。よりポジティブな着地点を見つけてあげないと、出版社も読者もいなくなってしまうと恐ろしくなったから。

 

まず、ポスト消費にありがちな「無料で公開すればやがて儲かる」という発想は、万能ではない。フェイスブックyoutubeは確かに無料でエンターテイメントを享受できるが、彼らはモノを作っているわけじゃない。紙を刷るにはお金がかかるし、作家に印税も払わなくちゃいけない。彼らはファンドとしての強みがあるから、大きなお金を調達して世界を変えることができる。出版社はやはり、100円で作ったものを1000円で売る生活が当分続く。

 

無料(もしくは定額制)で記事やマンガを公開することの限界も、若干見え始めている。例えばライターの原稿料をペイするために、いったい何万のPVが必要なのか、私たちは知る由もない。クリエイターが莫大な富を得られなくなるのは時代の変化だ。東野圭吾伊集院静のように、銀座で大金を使う作家は好き者扱いだ。ただ、そうすると食えなくなる末端の人間がいることも考えなくちゃいけない。

 

あまりにも単純計算で、たとえば1000円の本を10%印税契約で売るとする。先ほど言ったように3000部で増版が掛からなければ、200ページほどの力作に入るギャランティは30万円ぽっきりだ。バンドのようにライブや物販で収入を得られるモデルはまだない。「俺は本しか作らない」と決め込んでいれば、いったい何冊出せば飯を食っていけるのか。

 

アーティストのファーザー・ジョン・ミスティはウェブメディア「lomography」のインタビューでこう答えている。

『無料のものなんてどこにも無いんだ。誰かが儲かっていたら、そのぶん誰かが損をしているような社会だよ』

http://www.lomography.jp/magazine/333227-father-john-misty-interview

(本当にいいインタビューなので、音楽に興味がなくても読んでほしい)

FJMの言葉をなぞって言うならば、無料のコンテンツが跋扈して出版社は苦しいかもしれないが、それ以上に巡り巡って涙を飲むのはクリエイターなのだ。

 

そして、今の出版業界にはあえてFJMの言葉を裏返す必要がある。「モノが無料になるのなら、我々もそれを利用すればいい」と。たしかに紙媒体は売れなくなった。『フライデー』は最盛期の発行部数の10分の1弱にまで落ち込んでいる。

 

ただ、無料のリソースやテクノロジーのおかげで、取材や製作に必要な経費もどんどん削減できるのも事実だ。ロケハンをグーグルアースでやり、会議や連絡はスラックがあればなんとかなる。全編集部員がインデザインを使いこなせるようになれば、簡単な入稿は可能。外注のデザイナーの負担は少なくなるから残業代が削減できる。

 

ただ、多くのメディアでこうした無料のリソースを活用する方法は取られていないと感じている。形だけの「働き方改革」と給料削減で、まったくクリエイティブな節制が図られようとしない。ベンチャーとは違い、役割と対価以上の向上が求められていないのが現状だ。

 

こんな例えをしたら間違いなくフェミニストに抹殺されるが、パイプカットやレイプ死刑論を唱えるより子宮頸がんワクチンを打ってピルを飲んだほうがいい。女性なら大きな負担だが、クリエイターはそれくらいの自助努力をするのが当然の時代だ。「終わりなき消費」と戦う覚悟が足りないのは、間違いなくモノを作る側だと思う。

 

Google Home」は、ほとんどの状況において2つ以上の命令をこなすことができない。再生中のミュージックの音量を下げながら、次にかける曲を準備はしてくれない。『化物語』の羽川翼や裁判官のように、知っていることや結論が出ることにしか回答を持っていない。AIなら割り切れるけど、世の中相手でも同じ思うと、なんとなくやりきれない。

ブエナ☆ビスタ☆ホモ☆ソシアル☆クラブ②

ブエナビスタホモソシアルクラブ②

田園にシス

 

一番好きな季節は、と聞かれれば夏と答える。最近若者には夏の人気が再び高まっているらしいが、僕は単純に夏が一番過ごしやすいので好きだ。春と秋口は花粉症がひどく、鼻から気管支に紙粘土を流し込んだような苦しさのなか生活させられるから辛い。冬は外で酒が飲めないからいまひとつだ。

めっきり涼しくなった。東北新幹線のグランクラスでバーボンをがぶ飲みしながら八戸を目指したのはもう1ヵ月前のことだ。ソニマニでジャスティスがヤル気のないプレイをかまし、後輩に大盤振る舞いをした挙句ゲロを吐き、昔仲の良かった女の子がヤク中と今付き合っていることを知り、Jアラートが鳴り、ボルボのクーラーは2回壊れた。仕事のほうはすこぶる不調だったが、「仕事は終わる」。手垢にまみれた夏を黄泉に送るための5連休をもらった。アヴァランチーズのアルバムは、この前衣替えの時に「夏物」と書いた段ボールに入れて、押入れの奥に仕舞った。

わりとよく走った8月だったと思う。7月くらいから、友人に「休みをもらったら沖縄に行く」と宣言していたが、断念した。沖縄を断念するのは実は5年目だ。どうしても石垣島に行きたいと思ってからしばらく経った。5年前沖縄が僕の気持ちを駆り立てたのはたけしの「ソナチネ」だった。寺島進と勝村正信がバカみたいなアロハを着て、砂浜で紙相撲ごっこをするシーン。僕は夏が来るたびにあのシーンを、子供のころひどく怒られたいたずらを恥ずかしく思い出すように、頭の中に思い浮かべている。

「僕らが求めているのは成長じゃなくて救済なんだ」、誰かが学生の頃言っていた。僕はこの言葉をしばらく忘れていた。それを青森の道中で思い出した。だからグランクラスで八戸に行き、インターネットカフェで夜を明かすハメになった。青森は面白い所だった。青森市、八戸、津軽、下北とどことなく故郷(クニ)が分かれているようだった。いくら永山則夫が「津軽の14歳は悲しい」といったところで、それは県境すら越えられない。「田園に死す」のように、彼の過去もすべて嘘か美化されていればよかったのだが。(自分の過去を美化しすぎている、白塗りの青年)。

僕たちは運転中の車内の動画を1時間以上も撮った。思えば「イージーライダー」は救済を目指すロードムービーだった。

 モンスター・ムービーをここのところ聞いている。スロウダイヴのギターがやっているドリーム・ポップだ。おそらく、というより間違いなくこのバンド名の由来はカンのアルバム「モンスター・ムービー」からだ。ベーシストのホルガ―・シューカイが先日死んだ。中高の頃、友達とカンの話を時折していたのを思い出す。人生でそれほど愛聴していたわけではなかったが、個人的にはクリス・コーネルよりショックなニュースだった。「ゲット・ダウン」を観てから、カンを聴く機会が増えていたこともある。「ゲット・ダウン」で流れる「Vitamin C」のベースライン、あれほどクールで力強いリフは他にないだろう。

 死ぬんじゃいけない、今日は「トップ・ギア」を観てとっとと寝よう。

ブエナ☆ビスタ☆ホモ☆ソシアル☆クラブ①

ブエナ☆ビスタ☆ホモ☆ソシアル☆クラブ

 

東北に向かっている新幹線の中ではじまりのひとことを書き出している。

(これを「はじまりのひとこと」と書くと松浦弥太郎っぽいし、「冒頭の一文」と書くと沢木耕太郎っぽい。)

 

行き先は八戸。目的は酒と肴。あと「移動」だ。

 今日から夏休み、午前中に「フランシス・ハ」をようやく観た。実をいうと僕はここ2年、徹底して海外の映画・文学・音楽を避けていた。ヌーヴェル・ヴァーグよりもATGのほうがドラスティックに見えたし、はっきり言ってケルアックより「まどか・マギカ」のほうがパンクだった。

 そんななか、まるでジャームッシュへの愛しかないような映画(レヴがハットを被っている点、ジャック・ダニエルを吞んでいる姿はまさしくジョン・ルーリーへのリスペクトでしかない)を観ていると、ベンジー(ちょっとバーナード・サムナーっぽい)がいいセリフを吐いていた。

 「移動が趣味なんだよ」、彼の同居人のレヴがバイクに乗ってどこかへ出かけていこうとするシーンでベンジーはレヴのことをポツリとこう形容する。

 

「移動が趣味」というのは、僕の友達のN氏とよく話すことだ。僕らはおのおの、よく旅行に行く。でも何を見るでもななく、特に会いたい人がいるわけでもない。車を借りて知らない街を走り(そういえば16歳の僕よ、君は23歳でN氏と一緒に車を買うことになる)、なんなら誰も知り合いのいない団地のジャングルジムのてっぺんで一日を過ごし、買い物袋を持つ母と子の営みを眺めたいと思っている(そうでしょう、N氏よ)。

 

「移動が趣味」という話はあとの話にもかかわってくるけれど、ひとまず映画の話に戻る。いい映画は走る。「フォレスト・ガンプ」も「キャッチミーイフユーキャン」も走る(「ミリオンダラー・ベイビー」や「フォックスキャッチャー」は走ってたけどあまりいい映画ではなかった)。

トレインスポッティング」も走る。誰かが「T2」の映画のレビューの冒頭で、「相変わらず彼らは走っていた」と言っていて、その通りだと思った。人は人生という寄る辺のない灯に胸を照らされたとき、走る。「フランシス・ハ」ではたかだか数十ドルを引き出すため、ATMに向かって掛ける。僕だって、友達から遊ぼうと声をかけられれば走って喜びはせ参じる。上司から呼ばれても走る。行きつけの店でバーテンからお使いを頼まれた時も走る。

ではみんなはどんな時に「走る」、のでしょうか。

マウンティング

文章を書いてご飯を食べる仕事に就いて半年が経ちました。これくらいの若造では普通会えないような人に会わせてもらったり、たまに原稿を取り上げてもらったり、まさに会社のお金で勉強している、奨学生のような生活が続いています。

 非常に贅沢な環境で学んでいるとは思いますが、反省が一つだけあり、それは自分のために本を読み、文章を書く時間がまるでなかったことです。取材対象の関係書籍や資料などは夜を徹して読むことはありますが、学生の頃むさぼるように読んだ楽しい小説とかエッセイは、はっきり言って「時間のムダ」とさえ思うときもありました。どれくらい本を読んでいなかったかというと、あれだけ話題になった村上春樹の「職業としての小説家」が新潮から文庫化された今、初めて手に取っているくらいです。「最近の若い人は本を読まない」と言いますが、文章を読むのは根気のいる作業ですから、電通の新入社員が自殺するような過剰労働時代にそこまで要求するのはいくらなんでも酷じゃないでしょうか。

 村上氏独特のレトリックが詰まった一冊、ファン垂涎のものだと察しますが、同じく言葉を仕事にすることになった僕にも大きな刺激を与えてくれ、だから今こうやって夢中になってパソコンに文章を打ち込んでいます。「小説家になることはむずかしくない」「芥川賞なんて欲しくなかった」など、なかなか挑戦的なことが書いてありますが、易しい文体で誰にでもわかる理屈でその根拠を説明するあたり、やはり言葉を使うことが好きで好きでたまらない、初めて自転車を買ってもらった子供のような気持ちでキーボードに向き合っているのではないかと勝手に思っています。

ただ一つ感じてしまったのは同じ物書きとして、「上司の話」を聞かされているときに近いものがある、ということです。もちろん才能も格もはるかに別格な方に肩を並べてものを言おうとすること自体無意味ですが、エッセイだからよかったけれど、飲み会でこの話をされたら辛いだろうなあ…と率直に感じました。村上氏も定期的に「これを言ってもわかってもらえないと思うけど」と弁明しているのですが、はっきり言ってあまり意味のない言葉です。

近頃「マウンティング」という言葉が使われるのをよく耳にするようになりました。マウンティングとは知識量や立場などを利用して、相手に一方的に自分の意見を押し付け、自分の優位性を確保しようとするコミュニケーション方法です。「お前はモノを知らないから…」「俺の時代はな…」「○○社の○○社長とよく飲むんだけどさ……」など、上下関係のある酒の席では定番の会話ですね。最近は女子会でも、「私が上」となるような会話の回し方をする人が多いらしく、辟易しながら帰る人も多いと聞きます。

僕の仕事もすべてが自由なわけではなく、当然上司や取引先がいて、その方にどうやったら好かれるかを考えたり、時には偉そうに自分の意見を言わなければならなかったりする時もあります。またゼミのOB会や企業のOB訪問などで、今度は後輩と会う機会もあり、その時はマウンティングまではいかなくても、教壇の上に立ったような気持ちになるときがどうしてもあります。たいていの場合僕がするのは「しくじり先生」みたいな話なんですが。

「立場を利用してしか若い人とコミュニケーションを取れない、寂しいオジサンのコミュニケーション方法」との批判がネットに上がっているのを見て、確かにその通りだなァと共感しつつも非常に耳が痛かったです。人間なんてそんな大して強くないですから、どうしても相手より優れていることをアピールしたくなっちゃうんです。そう批判している人も「マウンティング予備軍」になるわけですから。

 だから建設的なのは、そういったオジサンにならないようにすることを心掛けるのではなく、「マウンティングされない方法」を模索することなのではないかと思いました。立場もあるのでなかなか難しいですが、没コミュニケーションになればなるほど、向こうは上から覆いかぶさってくる確率が高くなりますから、こちらから会話のきっかけを作るのが重要です。

その模索のひとつめは、「相手が知らないことを教える」ことです。いわば逆マウンティングをして、立場を中和させようとする試みです。ここで大切なのは、オジサンが全然興味ない話題をチョイスしないこと、本当は知らなくてもいいようなどうでもいい話をすることです。これを怠ると、「えー先輩知らないんですか~こんなことも」と、本当に逆マウンティングになってしまいます。「そういえばこの前仕事した○○産業のだれだれさん、うちの○○と同期って知ってました?」とか、「先輩の乗ってるクルマ、ニューモデル出ましたね」とか。たぶんこんな感じで、凝り固まった話題を拡げていくのは戦略の一つですね。「へえこの人意外なこと知ってるな」と思って、相手へ心を開きたくなった経験がある人は多いと思います。

それよりも大事なのは、質問をするということです。マウンティングはつまるところディスコミュニケーションの一体系でしかないのですから、「僕も○○な時に先輩と同じような考えを持ったことがあるんですが、先輩はどんなタイミングでそのような発想にたどり着いたんですか?」と聞いてみたり、知らないワードをまくしたてられたら素直に「それ、なんですか?」と返せば、相手は喜んで話してくれます。マウンティングされるより話が長くなる危険もありますが。

とにかくマウンティングが苦痛で苦痛で仕方ないのであれば、なんとかしてその場を面白くしようとする工夫したほうがいいのかなと思いました。僕が上司に教わって一番役に立ったのは。「失礼なことを言え」ということです。「いえいえ、先輩は素晴らしいですから……」とかなんとか畏まるよりも、「いや~やっぱ先輩もいっぱいしくじってますね~」くらいの茶々を入れたほうが、仲良くなる速度が圧倒的に違うのをこの半年で実感しました。僕もまだまだ勉強中ですが、「最近のおじさんは」と諦める前に、会話のリングに立つ意思を示していきたいものです。以上、最近読んだ本と気になった言葉の話でした。