97回目を迎えた2015年夏の甲子園は、神奈川県代表・東海大相模の優勝を以って幕を閉じた。怪腕・佐藤世那擁する宮城県代表・仙台育英は、通算8回目の決勝へ駒を進めるも、悲願の初優勝にはあと一歩届かなかった。高校野球100年の節目となった今年も、深紅の大優勝旗白河の関を超えることは赦されなかった。

今夏幾度となく耳にした「白河の関」であるが、福島県白河市にそれはある。東京都中央区から延び、白河を通る4号線は日本でいちばん長い国道で、ひた北上すると、青森県青森市で終着点になる。陸奥湾から津軽海峡を臨むこの地の年間積雪量は、なんと8メートルにも及ぶ。ひと冬にマンション4階くらいまで雪が積もるという、東北、そして津軽の厳しさを想像する。全国制覇を目論む球児たちにはむろん、其処で永く暮らしてきた人々にとっても、その儚い四季は何よりの難敵であるはずだ。

 

 

 

津軽の13歳は悲しい」。津軽の冷たく厳しい冬に思いを馳せるたび、私の脳裏にひとりの少年が影を現わす。小説「木橋」に登場する「N少年」のことだ。弘前の長屋に暮らし、新聞配達の仕事をするN少年は、兄らのリンチに耐え兼ね、家出を繰り返す。そのたび母は彼を厳しく叱り、やがて無視される。とある秋、街に架かる木橋が洪水に曝される。それを、いつか見たはずの北海の流氷に重ね、自らのぼんやりとした記憶を顧みる。そんな情景で締めくくられる。

作者は永山則夫、1968年、連続ピストル殺人事件の罪に問われ、死刑囚となった男だ。網走に生まれ、津軽に育ち、家出を繰り返し、進学を機に上京した。高校を除籍となり、職を転々とするなか、横須賀基地から盗んだピストルで4人の命を奪った。社会に、そして家族につまはじきにされた津軽の少年は、社会で最も受け入れられない結果を手に入れた。

仙台育英の18歳たちは一歩及ばず、悔し涙を流した。ナインの力闘に、世間からの賛辞を集めた。一方、50年前の、津軽のある13歳の悲しみは、誰にも受け止められなかった。彼が社会に生きる権利はどこにもなかった。件の言葉は、永山が獄中で読み書きを覚え、綴った詩の一片だという。彼が唯一、社会に残した感情だった。

 

 

 

「空を見上げました。沖縄の空にも、もちろん繋がっています」。2006年夏の甲子園3回戦、八重山商工智弁和歌山戦に、こんな粋な実況があった。西宮の空が遠く離れた石垣に繋がっているのならば、「N少年」が眺めた津軽の空にも、繋がっていたはずなのだが。