ファーザー・ジョン・ミスティーのインタビューが良かった話

IoTスピーカー「Google Home」を買ってから、家でラジオを聴く時間が増えた。キーボードを打ったりフリックしたり、これまで当たり前だった動きにはかなりの身体的負担があったことを感じた。無印良品のアロマディフューザーのようなシンプルなデザインは、トップページにロゴと検索窓だけを置いて差別化を図った十数年前のポータルサイト群雄割拠時代を思い出す。

 

そのミニマリズムは、生後すぐに親からも見捨てられたグーグルの自動運転カー・ウェイモ(waymo)を彷彿とさせる。観覧車の上部を切り落としただけのようなマヌケなデザインだったが、これがクールなのかどうかは時代が勝手にジャッジしてくれるはずだ。

 

一方まったくクールじゃない話をすると、文芸春秋社が図書館に対して、文庫本を貸し出さないで」と異例の声明を発表したことが話題になった。同社の松井清人社長は、貸出の増加が市場縮小の一因になっているとの理由を挙げた。

知っている人は知っていることだから「中の人」面して言うことはないけれど、世間で思われている以上に出版業界は厳しい。一冊発行するごとに数百万円の赤字を出している月刊誌なんてザラにあるし、超大手でも初版3000部スタートなんてものも当たり前の時代になってきている。同人誌がコミケの3日間で1000部売れる時代に。

 

この声明は、文芸春秋社や新潮社といった名作を生み出し続ける業界のリーディングカンパニーですらも、ビジネスを再構築しなければいけない岐路に立たされていることの裏返しだ。ほぼすべての出版社は株式上場していない。ビジネスの最前線に立つコンサルタントが出版業界の財務状況を見たら、笑ってしまうかもしれない。株価が25%下落してお陀仏なら、たぶんもうこの国に出版社は残っていないだろう。

 

文庫本の貸出制限要請について、多くの人は反対意見を持つはずだ。「図書館で本を借りたことがきっかけで、人は本を買うようになる」という人情派から、「デジタルで無料でなんでもできる時代に逆行するのか」というポスト消費時代を生きる人のコメントまで、ネットには至極正論が濫立した。

 

僕も大多数の意見におおむね賛成だが、もっと踏み込んでこの問題を考えるべきだと思った。よりポジティブな着地点を見つけてあげないと、出版社も読者もいなくなってしまうと恐ろしくなったから。

 

まず、ポスト消費にありがちな「無料で公開すればやがて儲かる」という発想は、万能ではない。フェイスブックyoutubeは確かに無料でエンターテイメントを享受できるが、彼らはモノを作っているわけじゃない。紙を刷るにはお金がかかるし、作家に印税も払わなくちゃいけない。彼らはファンドとしての強みがあるから、大きなお金を調達して世界を変えることができる。出版社はやはり、100円で作ったものを1000円で売る生活が当分続く。

 

無料(もしくは定額制)で記事やマンガを公開することの限界も、若干見え始めている。例えばライターの原稿料をペイするために、いったい何万のPVが必要なのか、私たちは知る由もない。クリエイターが莫大な富を得られなくなるのは時代の変化だ。東野圭吾伊集院静のように、銀座で大金を使う作家は好き者扱いだ。ただ、そうすると食えなくなる末端の人間がいることも考えなくちゃいけない。

 

あまりにも単純計算で、たとえば1000円の本を10%印税契約で売るとする。先ほど言ったように3000部で増版が掛からなければ、200ページほどの力作に入るギャランティは30万円ぽっきりだ。バンドのようにライブや物販で収入を得られるモデルはまだない。「俺は本しか作らない」と決め込んでいれば、いったい何冊出せば飯を食っていけるのか。

 

アーティストのファーザー・ジョン・ミスティはウェブメディア「lomography」のインタビューでこう答えている。

『無料のものなんてどこにも無いんだ。誰かが儲かっていたら、そのぶん誰かが損をしているような社会だよ』

http://www.lomography.jp/magazine/333227-father-john-misty-interview

(本当にいいインタビューなので、音楽に興味がなくても読んでほしい)

FJMの言葉をなぞって言うならば、無料のコンテンツが跋扈して出版社は苦しいかもしれないが、それ以上に巡り巡って涙を飲むのはクリエイターなのだ。

 

そして、今の出版業界にはあえてFJMの言葉を裏返す必要がある。「モノが無料になるのなら、我々もそれを利用すればいい」と。たしかに紙媒体は売れなくなった。『フライデー』は最盛期の発行部数の10分の1弱にまで落ち込んでいる。

 

ただ、無料のリソースやテクノロジーのおかげで、取材や製作に必要な経費もどんどん削減できるのも事実だ。ロケハンをグーグルアースでやり、会議や連絡はスラックがあればなんとかなる。全編集部員がインデザインを使いこなせるようになれば、簡単な入稿は可能。外注のデザイナーの負担は少なくなるから残業代が削減できる。

 

ただ、多くのメディアでこうした無料のリソースを活用する方法は取られていないと感じている。形だけの「働き方改革」と給料削減で、まったくクリエイティブな節制が図られようとしない。ベンチャーとは違い、役割と対価以上の向上が求められていないのが現状だ。

 

こんな例えをしたら間違いなくフェミニストに抹殺されるが、パイプカットやレイプ死刑論を唱えるより子宮頸がんワクチンを打ってピルを飲んだほうがいい。女性なら大きな負担だが、クリエイターはそれくらいの自助努力をするのが当然の時代だ。「終わりなき消費」と戦う覚悟が足りないのは、間違いなくモノを作る側だと思う。

 

Google Home」は、ほとんどの状況において2つ以上の命令をこなすことができない。再生中のミュージックの音量を下げながら、次にかける曲を準備はしてくれない。『化物語』の羽川翼や裁判官のように、知っていることや結論が出ることにしか回答を持っていない。AIなら割り切れるけど、世の中相手でも同じ思うと、なんとなくやりきれない。