ドラゴンスレイヤー

 

おととい干した洗濯物はびしょびしょになっていた。昨日干したぶんは、大丈夫だった。

Apple Musicのプレイリスト「BEATsturuments」を再生している。

 

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20代の半分を二日酔いに溶かしていいのか。

3日酒を抜いた。在宅勤務でも仕事に打ち込めている。脳の芯から火照る、久々の感じだ。

ベランダに出ると、予備校からの帰り道を思い出す、柔らかな冷気が身体を包む。努力した直後だけ認められる、チャンピオン・ベールだ。

 

先日、買い物に行く必要に迫られ、近所の商店街を歩いていると、あるレストランの扉に1枚の張り紙があった。

新型コロナウイルスのため、しばらく休業します」。

このご時世、対して珍しい光景ではない。だけど、僕はとても驚いた。この店、そもそも営業していたのか……。

禿頭の店主がスポーツ新聞を読みながら暇そうにタバコをくゆらすのが外から透けて見える、どの街にも一軒はある、店主にはごめんなさいだけど「終わっている」店だ。誰だって、できないことや、できること(できることや、できないことではない)を考える、プールの腰洗い場のような時間と空間だ。

 

もう1日経って今日(昨日)4月23日はサン・ジョルディの日キリスト教の祝祭日のひとつだが、スペイン・カタルーニャでは素敵な本を送り合う日だとも知られている。いや、知られていない。そんなことを知っているのは本を読む人間くらいで、「しじみ」と名付けられたネコの写真が画面に映し出されるのを見て、「ああ、しじみの日か」とムダに満足した人のほうが今日は多いはずだ。

 

送りたい本はない。平松剛『磯崎新の「都庁」』『光の教会 安藤忠雄の現場』の2作を週末に読み切りたい。不勉強だったけれど、信じられないくらいすばらしい書き手だ。目が滑るより早く、文字が進むから読むのに困らない。

 

サン・ジョルディの日は聖バレンタインが撲殺されたのがきっかけでチョコを送り合ったように、サン・ジョルディ司祭が殺害された日である。この男は伝説的な龍殺し(ドラゴンスレイヤー)だったという。嘘ではない、本当にそう書いてある。カタルーニャドラゴンスレイヤー。彼を偲んで本を送り合う。うふふ。

 

平松剛さんの素晴らしさについてもう少し書きたいと思ったけど、ドラゴンスレイヤーに気持ちが持っていかれてしまった。「本がいらない人生は、幸せだと言うことだ」。こんなニュアンスのことを言っていたのは太宰治だったと思う。昔、「日本一敷居が低い文壇バー」で、店主と喧嘩になったのを思い出す。文壇バーで「敷居が低い」と誤用しているのはワザとなんだろう。安心して敷居をまたぎ、酒をくらい、「本なんか読まない方が幸せになる」のようなことを話していると、そういうお客さんは要らない、と言われてしまった。

 

バツが悪くなって店を出たが、今思い返すと、そこに礼儀があったかというとなかった。反省している。たとえば今、平松剛氏の前で、同じ言葉が吐けただろうか。できないだろう。つまり、僕は人をナメていたわけだ。ただ、言ったことは間違っていないとも思う。今、これだけの状況になって、本にできることは、やっぱりそれほど多くない。せいぜい、いつも自分に立ちはだかって、読まなければ読まないほど向上心が湧いてくる、なんというか国債のようなものだろうか。

 

幸いなことに、巣篭もり需要で出版業界はいまひとたび延命措置を施された。

11時15分ごろの4月の太陽を浴びられるのは、すごく贅沢だ。

今日も校了を乗り越えられてよかった。

酒は、一応今日も飲まないでみる。

 

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徳島の「昭和湯」に行ってみたい。

徳島はまだ1泊しかしたことがない。それもネットカフェだった。