本①

一般的な話をしたい。「極めて一般的に言えばね」、僕は妙な日本語を使い続けている。なぜなら、シネフィルも仏文もミソジニーの話も、総じてジャーナリスティックじゃないからだ。新聞に載る話、全国に刷られて、流通していいような話…それが、「話」だ。

 

「精神的に独立した話を」

「それは、対自的な意味でかい?」

「いや、『親元を離れて一人暮らしをする』とか、『冷めきった関係の妻と決別する』とか、そういう一般的な意味での独立でね、、、」

スノッブの範疇にすら踏み込んでいない。お互いの話を全く理解していない会話、簡単に言うとアホだ。

 

僕たちにはつながりが必要なのだ。毎日17時に聴こえる下校のチャイムのように、近所の人なら誰もがわかる、せめて自分の身の周りと自分が地続きであることがはっきりとわかる、記号や共有する記憶が欲しい。

 

前回映画の記事を書いたのは、そういう理由からだった。と言っても全然説明になっていないと思うので、もう一つ補助線が必要だ。就職活動をする。面接に臨む。

「趣味は読書と映画・音楽鑑賞です」

しょうがないから言う。

「で、どんな?」

「いろいろです」

となると、落ちる。次の展開が、望みの薄い博打になってくるからだ。もし文化に明るい企業だったとしよう。自分の崇拝するアンディ・パートリッジや人生を注いだATG映画鑑賞の存在に気づいてくれるかもしれない。しかし、自分よりも手練の文化人が難癖をつけてくるかもしれないし、琴線に触れなければ「あ、そう」で終わるかもしれない。明るくない企業であれば無論だ。

だから、わかり易く自分の好きなモノの特徴を、多少取捨はあっても、パッケージ化し、記号化する必要がある。それを論理的に伝えれば、「○○芸人」のように、万人に納得される自己表現ができる。

 

本当はこの流れで、自分の好きな本の特徴を考えていきたかったのだけれど、説明が長くなってしまったので、また後日。